ファインマンの言葉

リチャード・フィリップス・ファインマン

すばらしいユーモアのセンスの持主だったおふくろから、僕は人間の精神の到達できる最高の形というものは、笑いと人間愛だと言うことを教えられたのだ。

「できるけどやらないだけだ」と自分に言い聞かせている間は、「できない」ということを別の表現で言っているに過ぎない。

一番のルールは自分自身を欺かないことだ。
そして、一番欺きやすい人間はあなたである。

リチャード・フィリップス・ファインマン
(Richard Phillips Feynman, 1918年5月11日 - 1988年2月15日)
は、アメリカ合衆国出身の物理学者である。

ニューヨーク市クイーンズのファーロッカウェイ(英語版)という小さな海辺の町のユダヤ人家庭に生まれる。白ロシア、ミンスク出身のメルヴィル・フィリップス・ファインマンとイーストサイド育ちのポーランド系ルシールの2男1女の長子として出生。母ルシールが心配するほど寡黙な子だったが2歳頃から驚くほど多弁な子になり父親が購入した大英百科事典をむさぼり読む。
ファインマンが生まれる前、父親は母親に向かって「もし男の子が生まれたら必ず科学者になるぞ」と予言した。ただメルヴィルの娘、ジョーン・ファインマンもシラキューズ大学にて固体物理学の学位を取得。実兄リチャードと同じ物理学博士の道に進んでいる。

吉田松陰―志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない

吉田松陰(1830~1859)


立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
――――――――――――――――-――――――

人を観察するのは、目によってする。
胸の中が、正しいか、正しくないかは、
瞳が、明るいか、暗いかによって分かる。
――――――――――――――――-――――――

学問をする眼目は、自己を磨き、自己を確立すること。
――――――――――――――――-――――――

士たるものの、貴ぶところは、
その徳であり、その才ではなく、
その実践であり、その学ではない。
――――――――――――――――-――――――

君子は、理に合うか否かと考え、行動する。
小人は、利に成るか否かと考えて、行動する。
――――――――――――――――-――――――

およそ、世間の評価は、当てにはならない。
――――――――――――――――-――――――

死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。
――――――――――――――――-――――――

吉田 松陰(よしだ しょういん)
日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。
安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾する。この松下村塾において松陰は久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義などの面々を教育していった。 なお、松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれる。

山岡鉄舟の名言―晴れてよし 曇りてもよし 富士の山―

「その頃、歌を作ったとておれに読んで聞かせたよ。

晴れてよし曇りてもよし
富士の山
もとの姿は変わらざりけり

  見よ、天地の道を一呑みにして、至誠の侵すことのできないことを言い表しているよ。」


山岡鉄舟(1836~1888)


人には、秀でた所もあれば、劣った所もある。
一概に、人を捨てたり、人を笑ったりできない。
―――――――――――――――――-

無刀とは、心の外に、刀が無いこと。
敵と相対するとき、刀に拠ることなく、
心を以って心を打つ、これを無刀という。
―――――――――――――――――-

宇宙と自分は、そもそも一体であり、
当然の帰結として、人々は平等である。
天地同根、万物一体の道理を悟ることで、
生死の問題を越え、与えられた責務を果し、
正しい方法に従って、衆生済度の為に尽くす。
―――――――――――――――――-

剣法を学ぶ所以は、ひとえに心胆練磨。
もって、天地と同根一体の理を果たして、
釈然たる境に、到達せんとするにあるのみ。
―――――――――――――――――-

自然は教師なり、自然を眺めて学び、自然に即して考える。
―――――――――――――――――-

どの道でも、師匠に選ぶには最善の人にするべきだ。
―――――――――――――――――-

心身ともに忘れ、自ずから天地万物、一筆に帰するの妙。
―――――――――――――――――-

敵の好む処に随ひて、勝を得る。
―――――――――――――――――-

晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
―――――――――――――――――-

義をもってしないならば、富があっても楽しいことはない.
―――――――――――――――――-

人は至誠をもって四恩の鴻徳(こうとく)を奉答し、誠をもって私を殺して万機に接すれば、天下敵なきものにして、これがすなわち武士道である。
―――――――――――――――――-

鉄舟二十則

  1. 嘘を言うべからず候
  2. 君のご恩は忘るべからず候
  3. 父母のご恩は忘るべからず候
  4. 師のご恩は忘るべからず候
  5. 人のご恩は忘るべからず候
  6. 神仏ならびに長者を粗末にすべからず候
  7. 幼者をあなどるべからず候
  8. 己に心よからざることは他人に求むべからず
  9. 腹を立つるは道にあらず候
  10. 何事も不幸を喜ぶべからず候
  11. 力の及ぶ限りは善き方につくすべく候
  12. 他をかえりみずして自分のよきことばかりすべからず候
  13. 食するたびに稼穡(かしょく=種まきと収穫、農業のこと)の艱難を思うべし すべて草木土石にても粗末にすべからず候
  14. ことさらに着物を飾り、あるいはうわべをつくろう者は、心に濁りあるものと心得べく候
  15. 礼儀を乱るべからず候
  16. 何時何人に接するも客人に接するように心得うべく候
  17. 己の知らざることは何人にても習うべく候
  18. 名利のために学問技芸すべからず候
  19. 人にはすべて能、不能あり。いちがいに人をすて、あるいは笑うべからず候
  20. 己の善行を誇り顔に人に知らしむべからず。すべて我が心に恥ざるに務むべく候
―――――――――――――――――-
山岡鉄舟(1836年7月23日-1888年7月19日)

江戸に生まれる。家が武芸を重んじる家だったため、幼少から神陰流、樫原流槍術、北辰一刀流を学び、武術に天賦の才能を示す。浅利義明(中西派一刀流)門下の剣客。明治維新後、一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖となる。
幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。江戸無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会する。
明治政府では、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任した。
勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。身長6尺2寸(188センチ)、体重28貫(105キロ)と大柄な体格であった。

ハングリーであれ、愚か者であれ

私は17の時、こんな言葉をどこかで読みました。

「毎日、これが人生最後の日と思って生きなさい。やがて必ず、その通りになる日がくるから」(笑)。

それは私にとって印象的でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分に問い掛けてきました。

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか?」と。

その答えが「ノー」である日が続くと、そろそろ何かを変える必要があるとわかります。
自分がそう遠くないうちに死ぬと意識しておくことは、私がこれまで重大な選択をする際の最も重要なツールでした。ほとんどのものごと、外部からの期待、自分のプライド、屈辱や挫折に対する恐怖、こういったもののすべては死に臨んでは消えてなくなり、真に重要なことだけが残るからです。

自分も死に向かっているという自覚は、私の知る限り、何かを失ってしまうかもしれないという思考の落とし穴を避けるための最善の策です。あなた方はすでに丸裸です。自分の心に​​従わない理由はありません。

今から1年ほど前、私はガンと診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にはっきりと腫瘍が映っていました。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかったのですが。医師たちは、これはまずまちがいなく治療不能なタイプのガンだと言いました。長くても3ヶ月から6ヶ月の命だろう、と。主治医は私に、家に帰って身辺を整理しなさい、とアドバイスしました。

「死の準備をせよ」という場合の医師の言い方です。

要するに、今後10年かけて子どもたちに伝えたいことがあるなら、この数ヶ月のうちに言っておきなさい、ということです。それはまた、家族が対処しやすいよう、何もかも準備しておけ、ということです。別れを告げろ、ということですね。

私はその診断結果を抱えて丸1日過ごしました。そしてその日の夕方遅く生検を受けました。内視鏡を喉から入れ、それが胃を通って腸に達します。そこからすい臓に針を刺して腫瘍の細胞が幾つか採取されました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったのですが、立ち会った妻に後で聞いたら、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見たとき、叫び出したのだそうです。それはきわめて珍しいタイプのすい臓ガンで、手術で直せるものでした。

私は手術を受け、そして今は、ありがたいことに元気です(拍手)。
これが私の人生の中で最も死に近づいた経験です。この先何十年かはこれ以上近くならないよう願いたいですが。

この経験を経た今、私はあなた方に、死というものが有益ではあるが純粋に頭の中の概念でしかなかった以前と比べて、少しだけ確信をもっていうことができます。
誰でも死にたくありません。たとえ天国に行きたいと願う人でも、そこに行くために死にたいとは思いません(笑)。しかし死は、私たちすべてが共有する行き先です。かつてそこから逃れた者は1人としていません。そしてそれは、そうあるべきことなのです。

死はおそらく、生物にとって最高の発明です。

それは生命にとって、古いものを取り除き、新しいもののための道を開いてくれる変革の担い手です。今、「新しいもの」とはあなた方です。しかし、それほど遠からぬうちに、あなた方もしだいに「古いもの」となり、取り除かれる日が来ます。ドラマチックな表現で申し訳ありませんが、これが真実です。

あなた方の時間は限られています。
他の誰かの人生を生きて無駄にしてはいけません。ドグマにとらわれてはいけません。それは他の人たちの思考の結果とともに生きることだからです。他人の意見の雑音によって自分の内なる声が掻き消されてしまわないようにしてください。

そして最も重要なことですが、あなたの心や直感に従う勇気をもってください。心や直感は、あなたが本当は何になりたいのかすでに知っています。他のことは全て二の次です(拍手)。

私が若い頃、「ホール・アース・カタログ」という驚くべき本がありました。私の世代にとってはバイブルの1つです。それはここからそう遠くないメンローパークに住むスチュアート・ブランドという人物が作り出したものです。彼の詩的なタッチは、誌面に命を吹き込んでいました。全てはタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られました。グーグルが生まれる35年も前の、ペーパーバック版グーグルとでも呼ぶべきものです。理想主義的で、いかしたツールやすばらしい考えに満ちあふれていました。スチュアートと彼のチームは、この「ホール・アース・カタログ」の発行を何度か重ね、一通りのことをやり尽くしたところで最終号を出しました。1970年代半ばのことです。

私はちょうど今のあなた方と同じ年頃でした。最終号の背表紙には、早朝の田舎道の写真がありました。あなたが冒険好きならヒッチハイクの途上で一度は出会いそうな光景です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。

「ハングリーであれ、愚か者であれ」

それが彼らからのお別れのメッセージでした。
ハングリーであれ、愚か者であれ。私は常に、自分自身そうありたいと願い続けてきました。そして今、卒業して新たな人生に踏み出すあなた方に対しても、同じことを願っています。

ハングリーであれ。愚か者であれ。


―スティーブ・ジョブズ 米国スタンフォード大学の卒業式スピーチ

「愛」と「敗北」

「自分が大人になって以来全てをかけて打ち込んできたものが消えたのですから、私はもうぼろぼろでした。数ヶ月の間、私はどうしたらいいのか本当に分かりませんでした。自分は前の世代の起業家たちの名誉を汚してしまった、渡されたバトンを落としてしまったのだ、と感じました。

デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って、全てを台無しにしてしまったことを詫びたりもしました。知らぬ者のない失敗者です。シリコンバレーから逃げ出すことすら考えました。しかし、やがて私の中で何かが見え始めました。私はまだ自分の仕事を愛していました。アップルでのできごとがあっても、その気持ちはいささかも変わらなかったのです。
私はふられてしまったわけですが、まだ好きでした。

だからもう一度やり直してみようと決めました。

その時は分かりませんでしたが、後からみると、アップルを追い出されたことは、人生で最良のできごとでした。成功者であることの重みが、もう一度初心者であることの身軽さに代わったのです。ものごとに対して前ほど自信も持てなくなりましたが、同時に私は自由の身となり、人生で最もクリエイティブな時期にもう一度入ることができました。

その後5年の間に、私はNeXTという会社を立ち上げ、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、その女性と結婚しました。ピクサーはやがて世界初のコンピュータ・アニメーション映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオとなりました。思いがけないことからアップルがNeXTを買収し、私はアップルに復帰しました。NeXTが開発した技術は、最近のアップルの復活において中核的役割を果たしています。ローレンと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

私は断言できます。
もし私がアップルを追い出されていなかったら、これらのことはひとつとして起こらなかっただろうと。もちろんそれは苦い薬でした。しかし患者には、それが必要だったのでしょう。

時として人生には、レンガで頭を殴られるようなひどいことも起きます。しかし信念を投げ出してはいけません。私が続けられた理由はただ1つ、自分のやっている仕事が好きだったということです。そしてこれは皆さんの仕事や恋愛においても同じです。

皆さんも、仕事が人生の大きな部分を占めていくでしょうが、真に満足するために必要なのはただ1つ、皆さんが素晴しいと信じる仕事に取り組むことです。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら、皆さんがやっている仕事を愛さなければなりません。

もしまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。
ひとつの場所に固まっていてはいけません。
心というのはよくしたもので、見つければそれとわかるものです。
そして素晴らしい恋愛と同様に、年を重ねるごとによくなっていきます。
ですから、探し続けてください。ひとつの場所に固まっていてはいけません(拍手)。」

―スティーブ・ジョブズ 米国スタンフォード大学の卒業式スピーチ