いかにその失敗が深刻だったとしても、たとえば”失敗は成功の母である”というように考えそれを生かしていこう

「もっと卑近な例を考えてみますと、たとえばお互いが何か大きな失敗をしたとします。失敗をすること自体は、お互い人間の常として、一面やむをえないといえるかもしれません。しかしその失敗が自分にとってきわめて深刻な場合には、それを気に病んで悲観し、思いあまって自分の生命をちぢめるといったような姿さえ実際には見られます。これは誠に気の毒な同情すべきことだと思います。
けれども、また一面においては、もしも素直な心が働いていたとするならば、おそらくそういう不幸な姿に陥ることはさけられるのではないかと考えられます。
というのは、素直な心が働いていたならば、物事を融通無碍に考えられることができるからです。
 ですからいかにその失敗が深刻だったとしても、たとえば”失敗は成功の母である”というように考えそれを生かしていこう、と思い直すことができると思うのです。
 すなわち、一つの固定した考えに陥って思いつめてという姿から抜け出し、大失敗は大失敗だが、しかし死ぬほどのこともない、努力すればまたなんとかなるだろう、死んだつもりで一生懸命やってゆけば、やがてよりよい姿も生まれるだろう、などというように、その失敗を本当の成功の母とするような考え方なり努力なりをしていくこともできるようになるでしょう。」


松下幸之助ー素直な心になるために (P51ー52)