吉田松陰―志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない

吉田松陰(1830~1859)


立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)
不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)
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人を観察するのは、目によってする。
胸の中が、正しいか、正しくないかは、
瞳が、明るいか、暗いかによって分かる。
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学問をする眼目は、自己を磨き、自己を確立すること。
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士たるものの、貴ぶところは、
その徳であり、その才ではなく、
その実践であり、その学ではない。
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君子は、理に合うか否かと考え、行動する。
小人は、利に成るか否かと考えて、行動する。
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およそ、世間の評価は、当てにはならない。
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死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。
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吉田 松陰(よしだ しょういん)
日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。
安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾する。この松下村塾において松陰は久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義などの面々を教育していった。 なお、松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれる。